底辺運転手に舞い降りた奇跡

『あいつ、そろそろ辞めるんじゃねーの?』

『違いない。あいつ要領悪いからな』

 

 

 

ハハハハハ・・・

 

 

そんなやりとりを聞いたのは営業所の休憩室へ入ろうとしたときだった。

ガラス越しに見えた先輩たちの背中。

どうやら気づかれていないようだ。

私は足音を立てないようにして、そーっと後ずさった。

 

 

確かに私はポンコツ運転手だ。

研修時代も同期で一番遅い卒業。

 

新人ステッカーはとっくの昔に外れている

だけどいまだに道を間違える。

地理の物覚えは悪く、おまけに注意力が弱い。

 

お客様との話に夢中になりすぎる。

 

曲がるところをそのまま直進したこともある。

 

お客さんの客層が良いせいでたまたまノークレームだけれど。

 

とどめに方向音痴。

ナビなしでは行けないところもまだまだ多い。

 

タクシー運転手としてはあまりに致命的。

 

 

 

 

実際売り上げも下から数えたほうが早い。

周りからも笑われることが多い。

なんなら後輩たちにどんどん追い抜かれている。

 

 

 

だけど、新人時代の教官の言葉が私を支えていた。

 

 

 

『やべくんは人柄で仕事をしているなぁ』

 

 

 

 

運転手としての適性は高くない。

そんな私への教官の言葉。

接客だけは自信を持って良い。

そう言われているみたいだった。

その言葉がかろうじて当時の私を支えていた。

 

 

 

 

そんな2020年4月。

先輩・同期・後輩。

どこからも小馬鹿にされていた底辺

そんな私が…

 

 

 

 

 

 

 

まさかの営業所トップになってしまったのだ。

奇しくも新型コロナウィルスによる緊急事態宣言が出された月。

 

 

 

 

 

 

最悪の時期に最高の結果を出した。

 

 

 

 

 

 

それは、あるひとりの青年との出会いがきっかけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

話は2019年8月に遡る…

 

 

蝉の声がうるさい昼下がり。

とあるラーメン屋へのお迎え。

「こんにちは、〇〇タクシーのやべです。よろしくおねがいします」

ちょっと挙動不審ぎみの青年が車に乗り込む。

 

 

彼の行き先は自宅。

住所を聞いてナビをセット。

車を走らせる。

 

当時は独り立ちして1か月も経っていなかった。

だから運転も超慎重。

ハンドルをガチガチに持って前を見ている私。

そんな私に彼は話しかけてきた。

 

『運転手さん、新人ですか?』

『えぇ、そうですよ。すみません何か不自由でもございましたか?』

『ううん。随分安全運転なんですね』

『申し訳ございません、なにぶん不慣れで…』

『それがいいんですよ。行きのタクシーなんか…』

 

 

 

そこから彼のマシンガントークが始まった。

 

 

 

 

行きのタクシーの運転がかなり荒かったこと

その運転手の愛想がひどく悪かったこと

もう二度と乗るもんかと憤慨したこと

そのうえで「もういちどだけ」

もういちどだけウチのタクシーに乗ろう

そう思って乗ったら「大当たり」

丁寧な接客・揺れの少ない運転

 

 

 

満足した

 

 

 

彼は延々と話してくれた。

 

 

 

新人の時期だったため、彼の誉め言葉は大きな励みになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年9月

 

 

 

車に無線が入る。

 

「774、ご指名です。これからすぐでファミリーマート〇〇店・クロサキ様(仮名)です、入れますか?」

 

 

ん?指名?

 

 

 

私は首をかしげた。

 

 

 

 

 

指名してくる人に全く心当たりがなかったのだ。

 

 

 

不思議に思いながらファミリーマートに行くと…彼だった。

車の中で、接客・サービス論を語っていたマシンガントーク野郎。

 

 

そうか、彼はクロサキというのか。

 

 

 

『やべさん、家までお願いします』

 

 

 

1000円ちょっとの距離。

一瞬がっかりしたもののやむを得ない。

 

 

20分かけて迎えに行ったことを考えればあまりにも安い仕事。

 

 

しかし。

 

 

みずからの選択、文句は言うまい。

なによりお客様の期待に応えたい。

 

 

自分の都合でパフォーマンスを変えるはプロに非ず。

 

 

 

 

 

 

 

 

『やっぱり、落ち着きますね』

 

 

嬉しい言葉だった。

 

 

『ありがとうございます。それはそうとどうしたんですか?通勤でタクシーだなんて』

『ちょっと足が痛かったんでタクシー使ったんですよ』

『どうされたんですか?怪我でもされたんですか?』

『古傷が痛んだだけですよ』

 

 

ミラー越しに見る彼の表情が少し曇った…ように見えた

 

 

あまり聞かない方が良さそうだ。

 

 

築40年くらいはあろうかという2階建てのアパート。

クロサキさんの自宅に到着だ。

 

 

『ありがとうございました、またお願いします』

 

 

左足付け根を微妙に庇うしぐさ。

彼はそのままゆっくり家に入る。

 

 

 

彼が家のドアを閉めるのを確認し車に戻る

それと同時にかすかに感じた違和感。

 

 

 

 

 

このときの私は知る由もなかった。

まさか、彼に衝撃の過去があっただなんて…

 

 

 

 

 

それ以来。

彼はたまに乗るようになった。

 

 

 

ファミリーマートから自宅。

相変わらず割に合わない仕事だ。

 

 

実際、職場でも言われた

「そんな割に合わない仕事断ればいいのに」

 

 

 

一部の運転手からは嘲笑すら浴びた。

 

 

 

 

そりゃそうだ。

 

 

 

 

駅前で流せばもっといい仕事がゴロゴロあるんだから。

 

 

 

 

それでも彼からの指名を受け続けようと腹をくくった理由

それは…

 

 

 

 

 

 

 

 

『573(※)ご指名です、これからファミリーマート〇〇店でクロサキ様です、行けますか?』

(※)前回と無線番号が違うのは、毎回乗る車が変わるためです。

 

 

配車センターからの無線。

 

 

『今から行くと40分くらいかかるんで断ってもらえますか?』

『了解です、お客様に連絡します。』

 

 

 

5分後

 

 

 

 

『573、お客様よりいくらでも待つから来て欲しいとのことです、行けますか?』

 

 

 

 

は?

 

 

 

40分待つって?

ファミリーマート周辺にも流しの車はいるはずなのに?

我が耳を疑った。

 

 

 

 

私から見れば正真正銘完璧マイナス案件。

クロサキさんにしたって、近くの車に乗ることができるはずなのに。

わざわざ40分待つなんて。

しかし、そこまでして指名するのは理由があるはず。

もやっとしたものを残しながらもファミリーマートへ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ファミリーマート。

彼は外でアイスクリームを食べつつ待っていた。

周りを気にするかのようにキョロキョロしながら。

絵だけ見たらシュールそのもの。

不審者以外の何者でもない。

 

 

 

 

 

『クロサキさん、すみません。遅くなりました』

『ん、あぁ、大丈夫ですよ。アイス食って待ってたんで』

彼は急いでアイスの完食を試みる。

滴り落ちるバニラに気づきもせずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

『クロサキさん、今日も自宅までで良かったですか?』

『んー、なんか適当に走ってもらえます?どこでもいいんで』

『あ、はい。かしこまりました。』

 

 

 

 

 

(もしかして、ヤバい人に気に入られたのか?)

 

 

 

 

 

 

少なからぬ不安を覚えながらも車を走らせる。

 

 

 

 

 

 

『ところで足の方はもう大丈夫なんですか?』

歩き方が自然に戻っていたので思わず聞いていた。

 

 

 

 

 

『はい、今は大丈夫ですよ。』

『今は、ですか?』

『昔…刺されたんですよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

へ?

今なんと?

 

 

 

 

 

 

『え?刺されたんですか?!』

 

 

 

 

思わず声がうわずってしまった。

 

 

 

 

 

『まぁ、たまに痛みますけど大したことはないですよ』

彼はそれからこともなげに話し出した。

 

 

 

 

それは学生時代に創った傷。

友達を庇って喧嘩に巻き込まれたこと。

そのなかで鋏を持った敵から内ももを刺されたこと。

救急車で搬送され、それから半年近く入院していたこと。

新聞沙汰にならなかったのは、学校側の懇願によるものだったらしい。

 

 

 

 

 

 

私の中で全てが繋がった!

彼が40分も待ち続けた理由が。

 

 

 

 

彼は、こともなげに話してはいた。

話してはいたけど、彼はかなり強い人間不信に陥っている。

信用した人(サービス)しか利用しないのは外界への不安と恐怖の表れ。

安全圏から出ることを好まず、変化を嫌う。

物理的な傷はある程度癒えているのだろう。

しかし、心の傷は残ったままだったのだ。

 

 

 

前を向いて歩けるようになるまでとことん付き合おう!

彼が私を望む限り。

 

 

 

 

 

 

面倒なお客様と正面から向き合うことを覚悟した瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなある日のクロサキさん。

『やべさん、ちょっとコンビニで話しませんか?』

 

 

 

彼からの提案。

『メーター回したまんまでいいですから』

 

 

 

回転率を考えれば、それでも割のいい仕事とはいえない。

しかし、彼なりの気遣い。

売り上げ的には損だけど、受け入れることにした…

 

 

 

 

『クロサキさん、どうしたんですか?』

彼はスタンド灰皿に灰を落としながら言った

『僕、好きな人いるんですよ。』

そう言って1枚の集合写真を見せた。

 

 

あどけない表情で制服を来た女子生徒を指す。

 

 

『昔つきあってたんですよ。』

 

 

未練…か?

 

 

 

 

復縁って基本的に不可能だ。

 

 

 

 

一度付き合って別れるってことは、相手の短所を知ってるってこと。

いわばマイナスからのスタート。

高校生の時の付き合いなら2年近くは経っている。

相手にも未練なり何かがあれば、あるいは復縁できるかも。

いずれにしても難易度は高い。

 

 

 

 

 

 

 

私はただただ話を聞くしか出来なかった…

 

 

 

 

 

 

 

2019年11月

 

 

 

 

『375、クロサキ様よりご自宅迎えでご指名です、入れますか?』

『了解、メッセージお願いします。』

午前10時30分。初めての午前中指名だった。

 

 

 

 

『中華料理・シャンハイ(仮名)へお願いします』

初めて迎えに行った時のあのお店だ。

『友達とメシ食うんですよ』

 

 

 

 

 

 

 

『やべさん、僕しごと辞めたんですよ』

シャンハイへの道中で突然告白した彼。

どうやら会社でのパワハラやセクハラがひどくなったらしい。

 

 

 

 

 

本人曰く10円の価値もないまずい昼食(食事控除で給与からはキッチリ引かれるらしい)

えこひいきの激しい人間関係

不公平な作業分担

とどめに同性からの性的暴行未遂

 

 

 

 

 

彼の中で不満が爆発したようだった。

 

 

 

 

 

 

 

『早く次の仕事探さないといけないですね…』

『しばらくは年金があるから大丈夫ですよ』

そう言って、彼はルームミラー越しに障害者手帳を見せた。

 

 

 

 

 

 

 

(手帳提示で1割引けたのに…)

 

 

 

 

 

 

 

おそらく、彼なりの「プライド」があったのだろう

障害者のタクシー利用者で障害者割引を知らない人はいない。

しかも、彼とは話してきたから彼の考え方も理解できる。

 

 

 

 

 

 

変な色眼鏡で見ないでくれ

 

ひとりの「人間」として見てくれ

 

 

 

 

 

 

 

おそらくそう思っていたに違いない。

今まで手帳を提示しなかったのがその証拠。

 

 

 

 

それと同時に。

彼をより深く理解しなければならないことを悟った。

発達障害を持つ2級障害者であるということ。

それが社会においてどれだけ『生きにくい』ことを意味するのか。

 

 

 

彼の世界では、世の中は『恐怖』そのもの。

そう映っていても不思議ではなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年12月

 

私はハローワークへ走っていた。

彼を迎えに行くためだ。

 

 

 

『いい仕事、なかなかないですね』

車に乗り込んで開口一番。

 

 

 

そうだろうな。

A型(※)で働いていた人が一般枠で入るのは並大抵のことではない。

(※詳しく知りたい方は就労継続支援事業で調べてください)

というより、事実上不可能に近い。

彼は一般枠(健常者)で探していたのだ。

落ち込むのは当然。

ハードルが高すぎるのだから。

あえて指摘はしない。

彼自身がそれを望んでいないのを肌で感じていたから。

彼自身で納得・理解し、自らの意思で行動することを待つしかないのだ。

しかし、このままでは彼のモチベーションは下がる一方。

 

 

 

 

 

『そういえばクロサキさん。あの子とは話は出来るようになったんですか?』

集合写真に載っていたあの女子校生だ。

実は彼女、同じ母体の別部署で働いていたのだ。

どうやってそこまで持っていったかは分からない。

しかし、わずかに進展していた。

Line上のメッセージでかろうじて「友達」として繋がっていたのだ。

 

 

 

『うーん。それがなかなか出来なくて』

 

 

 

背中を押すしかない!

意を決して言った。

 

 

 

『クロサキさん、思い切ってメッセージ送りましょう。キミの声が聴きたいと。』

『はぁ…』

『クロサキさん、あの子とヨリを戻したいんですよね?』

『はい』

『このままでは何も進まないのは分かりますよね。』

『はい』

『あの子が彼女になったら、就職活動頑張れる気がしませんか?』

『はい』

『だったら、思い切ってやってみましょうよ!クロサキさんならできますって!』

『…分かりました、やってみます!』

 

 

 

 

 

 

 

彼の逆転のドラマはここから始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数日後。

 

 

『やべさん、付き合うことになりました。』

ハローワークに向かう車の中。

彼の表情はとても明るい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…はぁ?

 

 

 

 

 

『段階踏んで』交際までいけるようアドバイスはした。確かにした。

電話で話せるよう『声が聴きたい』とメッセージを送れとは言った。

でも、告白しろとまでは言ってない。

失敗したら再起不能になりかねないから。

 

 

 

まさか、復縁にまで行きつくなんて!

クロサキ君、まさかの快進撃だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして12月末

私は彼らをイオンモールまで乗せていた。

クリスマスデートこそならなかった。

しかし、クロサキ君はデートにまでこぎつけたのだ。

彼女が門限が決まっているため、日中のデートだ。

一人暮らしだけど、生活指導員がいるために20時までに戻らなければならないのだ。

 

 

 

『呼びなおすのが面倒だから、メーター入れっぱなしにしといてください』

 

 

 

 

私は黙って頷く。

 

 

 

 

 

 

 

就職こそまだ決まっていない。

しかし、彼女も出来てモチベーションは上がっている。

おそらく、そう遠くないうちに仕事も決まることだろう。

その予感は4か月後に実現した…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年4月

 

『やべさん、来月から就職です!』

クロサキさんが笑顔で車に乗り込む。

『来来亭までお願いします!』

どうやら今日も友達とご飯らしい。

それにしてもクロサキさん。

相変わらずのラーメン好きだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今だから言える話。

この時期、クロサキさんを乗せることは正直苦しかった。

新型コロナウィルスによる緊急事態宣言発令。

これにより客数が超激減していたのだ。

回転数を上げたいし、なにより病院に張り付きたかった。

病院なら客数も多少はあるし、たまにだが長距離もあるからだ。

 

 

 

 

彼女とはヨリを戻した。

就職も決まった。

そろそろクロサキさんとの付き合いをやめても大丈夫だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『やべさん、どうしたんですか?』

『ん?』

『なんか、考え込んでいたから』

『クロサキさん、実はですね…』

 

 

 

 

 

 

 

私はクロサキさんに本音を伝えた。

 

 

 

 

クロサキさんの過去が自分の中学生時代と被って見えたこと。

退職や孤独に耐えているクロサキさんを応援したかったこと。

今市況が苦しいこと。

そして、就職が決まった今、自分の役目が終わったこと。

病院で仕事がしたいから指名を断りたいこと。

 

 

 

 

 

 

 

『そうですか、わかりました。』

少し寂しそうなクロサキさん。

 

 

 

来来亭に到着。

『やべさん、これからも頑張ってくださいね。』

 

 

 

彼の最後の言葉。

 

 

 

 

 

巣立った我が子を見るような気持ちだった。

そして、私も少し寂しさを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

こうして彼との物語は終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…そう思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日。

『777、取れますか?』

午後10時。

配車センターからの無線。

『はいどうぞ。』

『これからすぐでクロサキ様ご自宅迎えです。行けますか?』

(なにかあったのかな?)

指名を受けないことを言った矢先の指名。

なにか事情が変わったのだろうか。

そう思いながら彼の自宅へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

彼の家の扉をノックする。

出てきたのはクロサキさん。

そして、4つ違いのお兄さん。

『クロサキさん、どうしたんですか?』

車内に入ることを促しながら尋ねる。

『そんなことより、あそこ行ってくださいよ!』

笑顔のふたり。

私は二人をのせて「あそこ」へ連れて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

街灯が等間隔に並ぶ道路。

かつて、クロサキさんが就職がなかなか決まらず落ち込んだ時に走った場所。

彼に好きな曲を流してごらんと言ってかけた曲。

いきものがかりの『気まぐれロマンティック』をBGMに。

制限速度ギリギリで飛ばしながら夢を語ったあの場所だ。

 

 

 

 

 

夜、ほとんど車通りのない道路。

『クロサキさん。仕事決めて、免許取って、車を買って、彼女とデートしましょうよ!』

『今を乗り切ったら、彼女と好きなだけデートできますよ!』

『車を持ったら、こうやってクロサキさんが走って助手席の彼女に話しかけてあげるんです!』

助手席に乗せたクロサキさんに、イメージさせるように語り掛ける。

とにかく希望を持ってほしい。

諦めなければ勝機はある。

へこたれるな。

 

 

 

かつての自分と重なっていたのだ。

就職がなかなか決まらず自暴自棄になっていた20代のあのころの自分に。

そう。

彼を励ましているというより、かつての自分を鼓舞していたのかもしれない。

 

 

 

その道路を通り過ぎていきついた「あそこ」

 

 

 

 

 

 

 

港だ。

 

 

 

 

 

『外で一服しましょうよ!』

クロサキさんは私を外へ促す。そして。

 

 

 

 

 

 

 

『やべさん、売り上げやっぱり厳しんですか?』

『そうですねぇ。簡単ではないですよ。でも、なんとかなってますよ』

20代の若者たち、しかもお客様相手。

さすがに弱音は吐けない。

 

 

 

 

 

 

 

 

『やべっち、ミツ(クロサキさん)のこと、今までありがとう!』

ときどき喫茶店に連れて行っていたヨシくん(お兄さん)の言葉。

 

 

 

そして。

『やべさん、トップ取ってやりましょうよ!僕らが乗りますから!』

クロサキさんの思わぬ申し出。

 

 

 

 

 

私の苦しい胸の内を理解してくれてたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あぁ、そういうことだったのか。

彼らはアウトプットこそ苦手だ。

しかし、感受性は人一倍鋭いんだ。

だから生きにくく、そして苦しいんだ。

だからその分、信頼してくれる人にはとことん厚くなるんだ。

 

 

 

 

 

 

『遊びに行きたいところ、たくさんあるんですよ』

『来月から乗れなくなるし、いろいろ連れてってくださいよ』

彼らの申し出そのものも嬉しかった。

しかしそれ以上に。

彼らの気遣いそのものが嬉しかった。

 

 

 

 

 

不器用な彼らなりの精いっぱいの心遣い。

彼らの思いに胸が熱くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日から「私の逆転」が始まった。

 

 

 

 

 

お母さんが買い物でタクシー往復利用。

待機して待ってて!

 

ヨシくん(お兄さん)が喫茶店に行くから乗せてくれ。

待機時間もメーター入れてていいよ。

なんならおごるから一緒に飲もうよ!

 

クロサキさんもゲーム買いに行くから往復お願い!

待ちメーター入れて待ってて!

 

兄弟で病院行くから往復お願い。

2時間くらいかかるかもだけど、待機してて!

 

毎日、なんらかの注文をくれる。

しかもほとんど往復・待ちメーター付き。

 

夜勤の日は、真夜中でも往復1時間くらいかかる「あそこ」へ行く。

ほとんど無人の港に車を停める。

なにをするでもなくSwichiで朝まで遊んでメーターを稼いでくれるふたり。

時には自動車道路に乗っかり2万円分・3万円分走らせてくれる。

 

 

 

 

 

 

あまりもの超展開。

事実は小説よりも奇なり。

当の本人たる私ですらそう思った。

 

 

 

 

最近、祖父の遺産を相続したからお金には困ってない。

僕らはやべっちの車に乗りたいんだ。

だから僕ら客の言うことを聞いて「堂々と」乗せてくれ。

 

 

 

 

 

彼らは『障害者』として見られるのをとても嫌がっていた。

侮蔑にしても同情にしても。

偏見の目で見られること自体が嫌だったのだ。

彼らにとっての私。

それは特別な存在になっていたようだ。

あくまで「普通」に接してくれる。

人として「普通」に接してくれた。

彼らの行動や言葉からその想いを痛いほど感じた。

こうして月末を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月末。

営業所の売り上げ成績は15日以降更新されていなかった。

それどころか、いつの間にか売り上げ成績自体が撤去されていた。

 

 

 

 

仲の良い管理者に聞いてみた。

『これ、どういうことですか?』

『あぁ、やべさん。今月ぶっちぎりでしたよ!』

『あぁ、ありがとうございます。ところでなんで…』

 

 

 

 

 

 

管理者の彼いわく。

あまりにも全体的に不調過ぎて有給・臨時休暇取得者が続出。

その結果、表示できないくらいの実績者が続出。

営業所のモチベーションは下がる一方

だから売り上げ成績を撤去してしまえ。

そういう流れだったそうだ。

 

 

 

 

ちなみに私は二位に倍近い差をつけてのトップだったらしい。

公式には出ていないけど、もしかしたら全社でもトップだったんじゃないかとも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奇跡が起きた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

研修時代から受け続けてきた屈辱の日々。

周りから散々浴びた嘲笑。

不器用だの頭が悪いだの。

『あいつ、そろそろ会社辞めんじゃね?』

そんな陰口を叩かれていた落ちこぼれ。

 

 

 

 

 

 

 

確かにその通りだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

不器用だったから、全力でクロサキさんに向き合った。

頭が悪く回転も遅いから、丁寧な応対・会話を心掛けてきた。

できるだけ相手の気持ちを汲み取ろうとしてきた。

少しでもお客様に迷惑がかからないように。

利益にならないことでも信頼を優先して取り組んできた。

 

 

 

 

 

 

 

クロサキさんの身に起きた「遺産相続」という超イレギュラー

それをも含めて味方に出来たのは、確かにまぐれ。

 

 

だけど私は違うと思う。

 

 

 

世の中には不思議な力が働いている。

 

 

 

そして、真面目にきちんと生きていればきっと奇跡は起きる。

 

 

 

世の中、決して不公平じゃない。

 

 

 

 

だから、いつか結果が出ると信じて。

未来は切り開けると信じて。

まっすぐに

ただまっすぐに。

己の信念にしたがって。

前を向いて歩み続けよう。

 

 

 

 

あなたの身にもきっと奇跡はおこるから。